和田山町和田山
旧街道の端 朝来市商工会館の近くに、
「右はりま 左いせ」
と刻まれた道標があります。
伊能忠敬の測量隊は文化3年と11年に
但馬を測量に訪れました。
永井甚左衛門率いる別隊が前日ここに「和」の杭を打ち、
忠敬の本隊が矢名瀬町の「矢」の杭からここまで
測量してきて、中田屋多右衛門宅で休憩したそうです。
ここが交通の分岐点だったんですね(^^)v
伊能忠敬の測量方法は、「道線法」。
まず測量する地形に沿って測点を決め、
測点に杭を打ち梵天と呼ばれるポールのような目印を立て、
鉄鎖や間縄を使用して測点と測点の間を測ったそうです。
角度は杖先磁石という方位磁石のようなもので測り、
方位と距離を測量していったようです。
日本中を歩いて測量し、現在の地図と
ほとんど変わらない地図を作ったなんてスゴイです!!
それも、忠敬が測量をしたのは
55歳から72歳の17年間なのだとか・・・
「もう歳だから・・・」なんて言ってられないわ(-_-;)